神前結婚式


  世界で最も素晴らしい結婚式は、神前結婚式です。(と私は考えています。といいますのは)村中の者が、新郎を新婦の家へつれて行くタイの結婚式などもおもしろいし、ラオスのベッドまで案内する結婚式もなかなかなものです。
 しかし、衣装に関して言えば、日本の衣装に勝るものはありません。白無垢がいいですが、十二単衣など着たらもう完全優勝みたいなものです。こんな豪華な衣装が地球上のどこにありましょうか。
 十二単衣の新婦と狩衣の新郎、これ以上のものはどこにもありまえん。その上、祝詞のおごそかなこと、誓詞のきっぱりとした宣誓は、この国に生まれて良かったとさえ思われるはずです。日本人は「愛」と言う言葉を基本的には遣わないのです。そして、結婚は「第二の人生」であることを忘れないで欲しいものです。イザナギ、イザナミという神々と共に祝いたいものです。

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初宮参り


 人の一生のうちで、生児の出産から初誕生日を迎える期間は、最も霊魂が安定しない時期であると言われている。
 そのためこの期間に行われる儀礼は、生児の霊魂の安定化を一番の目的としています。
 初宮参りは生児の無事成長の加護を願うとともに、社会的には新しく氏子として認めてもらう儀礼です。氏見(うじみ)せ、見参(けんぞ)まいりと言ったりもします。
 産穢(さんじゅく)という表現は、出産した生児と妊婦の両方に忌みがかかっていることを示しています。
 忌みの期間だけをみますと、生児の方は出産後三十日以内にはもう穢れは消えており、生児の社会への仲間入り、氏子入りの儀礼としての宮参りも、男児は三十二日、女児は三十三日が多いようです。
 初宮参りをヒアケ・ヒバレ・ウブアケ・シメアゲなどと呼ぶのは、この日で生児の忌みが晴れたことを意味します。
 しかし産婦は七十五日の忌みが明けるまで、鳥居をくぐっってはいけないと言われています。本来三十日前後の宮参りには母親は参加せず、姑、仲人などが生児を抱いて参るものであったようです。
 産穢という言葉ですが、出産には血が伴うのでそのことをいうのですが、もう一方で、 「気枯れ」という意味もあるようです。気力(エネルギー)が衰える状態をいうのですが、出産のために気力、体力の消耗が激しく、そのための忌みの期間には針仕事や力仕事の禁止など、厳しい忌みが要求されたのです。
 初宮参りは元来、母子ともに忌み明けを待って行ったものらしく、西日本ではモモカマイリと言って、母子ともに百日目に参る例が多かったようです。
 そして額に、男児なら「大」、女児なら「小」、と紅を付けます、神の占める子という意味があります。古くは幼児のための「ひとがた」を天児(あまがつ)と呼び、茨城県北部のように、「六つ前は神のうち」という表現が、このことを物語っているように思われ
ます。(高山多津子)


七五三  千歳までと願う子の成長

  「七五三」は、子供の成長の節々に厄災に対する抵抗力をつける、子供の歳祝いです。
 中世の文献では、公家衆の日記などに家庭の祝儀として、決まった日ではなく、吉日を選んで行ったことが見えます。
 奇数(陽の数)がめでたい数であり、また体調の変わる年齢でもありますので、七五三という年齢を歳祝いとしたのです。
  「七五三」は祝うことによってめでたくする予祝の信仰です。この日にお宮参りをするのは、子供が成長してゆく過程で社会の一員として共同体に立派に参加できるように、更に将来とも広大の御加護によって益々健康に発育していくようにと、氏神様に祈りをこめる大切な意味を持っています。
  「七五三」の本来の意味は、男女共三歳を「髪置」といい、今までうぶ髪を剃って来たのをこの歳になって初めて髪を整える式で、白髪頭になるまで長生きするようにと、白髪綿の帽子をかぶせました。このとき白髪綿をかぶせる長寿の人を髪置親といいます。
 又、男児五歳を「袴着」といって初めて袴をはく式で、この時袴のひもを結ぶ人を袴親といいます。
 次に女児七歳を「帯解き」といい、着物のつけひもを取り、初めて縫帯をしめる式です。魂を内にしっかりとどめ、身をもちくずさぬようにとの願いが込められています。帯を贈るのは親代わりになれるような女性で、帯親といいます。
 やっとひとり歩きするころの三歳、何でも一人でしたがる五歳、社会に仲間入りをする七歳を数でとらえて祝うことによって、子供には自覚を、又同時に親も過保護の戒めとして、子供のよき成長を願う節目が「七五三」であるといえるでしょう。

   参考文献  『国史大辞典』                  吉川弘文舘
           『日本歴史大辞典』               河出書房新社
           『年中行事を「科学」する』      永田久 日本経済新聞社


人形(ひとがた)について

 人形は「ひとかた」とも読み、人像とも書き、形代(かたしろ)、贖児(あがちこ)等ともいいます。一般に禊祓(みそぎはらえ)の際、紙で作った簡単な立雛形式の人形に自分の名前や年齢を書き、それに息を吹きかけて罪穢や禍を移す祓具(はらえつもの)として用いられます。
 又、それで身体を撫でて、祓うことから、撫で物ともいわれます。現在では紙製のものが多いのですが、『延喜式』(九二七年完成)木工寮によれば「金・鉄・木製のものも作られ」とあります。
 人の形をかたどったものは、古くは縄文時代の土偶に始まり、それ以来連綿と作り続けられてきました。
 なかでも平城京などで出土する木製の人形の中には、無病息災を願ったものがあり、人々の祈りの気持ちを強く反映したものです。
 平安時代になると『源氏物語』須磨の巻に、三月巳の日に陰陽師に祓をさせた後、「船にことごとしきひとがたのせて流す」と見え、祓の後「ひとがた」を海に流したようです。なお幼児のための「ひとがた」は、天児(あまがつ)と称されました。
 いずれにせよ、その根底には祓(神に祈って、罪・穢れや災いを払い除く)の思想に基づくものがあるようです。祓月(はらえづき)とは陰暦三月の異称です。
   
 

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