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  さて結婚式キリスト教式、神前、仏式、人前とたくさんありますが、第二の人生をどのようにするかの時に、お金がかかるから神前結婚式をやめておくというのは、どうでしょうか。たしかに着物は高いものです。それも借りるだけでもです。しかしそれは呉服屋さんが悪いばかりではないのです。本当にいいものなら安いのですが。
 日本文化の素晴らしいところを判っていないからとも言えるのではないでしょうか。たとえばお料理でも、日本で食べるものはフランス料理でも、中国料理でも美味しいですが、その国にいって食べたら、美味しくないことがしばしばです。団体旅行ばかりしている人にはそのことが判りませんが、なぜなら添乗員が下見したり、添乗員同士の内部情報で判断して、日本人の口に合う食事が選ばれていたりしますから。
 それと同じことが衣装にも言えるのです。世界に誇るべき日本人の感性が生んだ文化の一つの花が着物ですから、そう簡単に理解してもらっては困るのですが。
 ヨーロッパでおみやげとして、レースの刺繍を買ってきたりします、あれもなかなか良いものですが、あれは着物でいえば、表面の装飾だけになり、染や織りまでは入っていません。そのような考え方で考えると、そこにも技能・技術が込められているのですから。
 その手間だけでも大変なものです。そこに長い伝統の洗練もあるわけです、てすから高いのは当然です。しかし呉服屋が暴利をとっていたということもなきにしもあらずではありますが。それに加えて貸し衣装屋までとなると、嫌がられるのは当然ともなります。
 閑話休題、結婚式はなにをする式なんでしょうか。やはりこれは両家が結ばれることなんです。ふたりだけの問題ではありません。そのあたりが若い二人には判りません。なんて『ロミオとジュリエット』が小説であれ大変なのかがわかりましょうか。
 だから式にまで、友人をたくさん呼びたがります。それを両親が確り示さないといけないのですが。まして信者でない宗教で式をあげるのは、ファッション以外のなにものでもないのです。自分達の人生は見せ物ですと宣言しているようなものです。
 つまり大学は出たが、人生は習っていませんという論理になってくるのです。
 また、友人をたくさん呼びたい、これも尤もなんですが、友人で身代わりになってもいいぐらいの人はどれだけあるのでしょうか。そのことから結婚式は親族だけで、披露宴は友人も沢山呼ぶということになっていたのですが。
 どうしても式の姿を見せたいというのが、今の新婦の考えなんでしょうか。新郎には主導権がない時代ですから、新婦が仕切っています。
 この人達がこれからの考え方の主流を作っていくと思うと、空恐ろしく思うのは私ばかりでしょうか。
 もう一度、基本にたちかって考える時期にきているようですが、いかがてしょうか。

 次に式の「奥床しさ」という言葉も、死語にしてしまったのでしょうか。世界のどこにこんな素晴らしい作法があるでしょうか。
 まず、場を清め、三三九度。三は結びです。トライアングルをあげるまても、一番安定するのが、△であることは、建築の例でもわかる通りです。
 お酒のつぎ方も初め少し、真ん中で多く、そして最後も少し。という結びの方法。古神道の数霊(かずたま)でも、三は結びです。
 盃も新婦・新郎・新婦。新郎・新婦・新郎。新婦・新郎・新婦。が正式なんてすが、これも判らなくなっているようです。おそらくこれは、新婦の5と新郎4で9になるのです。
この9が人生の大事な指標なんです。そこに陰陽の意味も含まれています。
 例えば、いよのいし著『天孫降臨 マナの壷』によりますと、9は最高の数ですし、当然易で、九紫でいっても最高の数になるのです。
 次に新郎新婦が神前に進んで、玉串を奉奠します。この玉串の供え方も多くは指導しなければならないというのが、現状でしょう。(「の」の宇を描くように時計の針まわり二七〇度回して、玉串案に供えます)
 次に神に誓います(誓詞を読みあげる)。これが結婚の主目的です。一般には、伊弉諾と伊弉美というこの国をお生みなさった神様に誓います。それは日本人としての一番元であります。この元が忘れられているのですからなにおか言わんやです。
 現在の家庭教育がいかになされていないということがわかるわけです。それゆえなにも知らない若者に反対されるのです。
 つまり、躾けていないからここで、なんでも自由になってしまうのです。
 ここで再び繰り返しますが、日本では結婚は両家の問題で、ふたりだけの問題ではないのです。ここのところが何と言っても大切なのです。
 次が指輪の交換です。これは特に新しく加わったことです。
 新郎新婦が席直り、親族盃の儀になります。新郎新婦に御神酒がつがれ、両家親族に注れ、仲人に注がれます。乾杯をした後、両家代表として仲人夫妻が、玉串奉奠をします。これでお開きになります。
 以上のような式次第ですが。式場によってはいろいろと変化はありますが、大体は以上のようなものです。(楽人が入るもの、神楽舞のあるもの等々です)
 ここで大事なことは、三三九度と神の前で誓詞を読むことです。そして親族が固めの盃を交わすことです。

 日本の結婚式ほど奥ゆかしさがあり、優雅なものは世界にありません。それは先にも少し述べましたが、民俗衣装である着物(染・織り・絞り・暈し等々)によるものです。
 どこにこれほど豪華でしかも優雅な衣装がありましょうか。世界の映画でそんなシーンをたくさん見ましたが、比べるものさえありませんでした。ただ誤解のないようにいうならば、肉体をどんなに多く出すかは西洋文化ですから、完全に負けています。(露出をできるだけしないのが日本文化だということがわかっていただけるのでしょうか、明治でも
袖を押さえて吊り革をもつことさえあったのですが)
 それゆえ、臍だしルックなどというのは問題外なんです。もはや異邦人ということになりましょうか。
 着物の柄は、花鳥風月のみならず、森羅万象を描くこの筆の優雅なこと、これは日本画
の特徴でもあります。
 勿論西洋画の素晴らしいのもありますが、普通着物は伝統と言って自然を描いているものが殆どです。その中に季節感あり、自然の風情ありです。絵なのに音が開こえてきそうなものや、風のそよぎを感じるには、私だけでしょうか。
 まして十二単を着た花嫁は、世界一です。十二単は女房装束の俗称で、十二単は重ねう袿(うちぎ)の数による異名で、重を袿I重ね、二重ねと下に単を重ねたことによる名称で 「じゅうにのおんぞ」とも言うようです。
 一方、男子は狩衣です。公家の常用略服、まるえりで身頃を一幅として、脇を縫い合わさず袖をくくり、紐を通してすぼまるようにしてある、くくり袴を用い、据を袴の外へ出し烏帽子をかぶる。
 まして新婦が十二単衣をきて、新郎が狩衣を着た式にであうだけで、なんだか幸せを感じるのは私だけてしょうか。よくぞ日本に生きていたとさえ思われるようなものです。
 そこまでも高望みをしなくても、着物を美しくきているだけで、憧れの人になることまちがいなしではないです。
 先日春日大社で、山科流の衣冠束帯講習の見本を見せてもらいましたが、その優雅さは世界一といっても決してひけはとらないことを確信しました。十二単でなく八単でしたが。それに紐は一本だけで止めているというのも興味深いものでした。
 奈良や京都の祭りの行列の衣装がまさにこれにあたります。結婚式がショーでなくてあなたの祭りならなんとよいことでしょうか。

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